住民ディレクター事典

地方創生のヒント満載!!

住民誰でも使えるテレビ

1995(平成7)年9月に熊本県民テレビを退職し、1996(平成8)7月から住民ディレクターの養成と地域づくりの支援を掲げて起業した岸本は熊本市のケーブルテレビ「熊本ケーブルネットワーク」と交渉し、住民の住民による住民のためのテレビを実現する「使えるテレビ」を提案し、2時間放送枠を活用させてもらうことになった。住民のための放送枠を確保したい岸本と住民番組を制作するゆとりがないケーブルテレビとの事情がマッチし、お互いの信頼関係で前向きに進められた。日本初の住民制作番組で現在、今年20年目を迎えた恐らく世界でも唯一の住民制作番組の最長寿番組になっているとおもわれます。この番組の特徴を知る事例は熊本市の中年女性の番組です。二人は毎回近所の神社やどちらかの自宅、研修があった会場などでビデオカメラをテーブルの上に置き、スィッチを入れると二人で延々と最近気になった話題のお喋りがはじまります。時には1時間でも平気で喋っています。そして撮り終えたらカメラを持ってきて「お願いします」といって帰ります。「編集はどうします?」と聞いたら、「放送時間のところで終わってください。」「??」つまり二人が話し始めたところからコーナー枠の10分がきたらそこで終わってという話でした。「それじゃあ中途半端で話が終わるかもしれませんよ」「いいの、わたしたち編集できないし、どこを選ぶかも面倒だから」のような返事。この大雑把なやり方で二人はずっと継続できたし、こちら側もまさに「使えるテレビ」でしかできない大実験と感じました。その後二人は熊本市内でいろんな人から声をかけられる存在になっていきます。

同じ頃、熊本県民テレビ時代にボンネットバスの復活や花咲か一座の活躍で村おこしに火がついた球磨郡山江村では農家の松本佳久さんと役場職員の内山慶治さんが「使えるテレビ」を使い始めました。こちらは目的は明確です。「山江村にきてほしかー」「山があり、川もあり、蛍も飛ぶこのふるさとの魅力を伝えたい」ということでした。農家の松本さんの農業倉庫であり集会所である「ケニアハウス」に毎月村民や村外から訪れた人が自由に語り、自由に伝え合うコミュニケーション番組のスタートになりました(『田舎の贅沢体験塾』)。その後くまもと未来国体で活躍した住民ディレクターが熊本県内から集まり、「使えるテレビ」はさらに大きな広がりを見せていきます(1999年『人吉球磨新発見伝』)。以来20年、くまもと未来国体でしっかりと地域活性化を実践したきたメンバーで作った特定非営利活動法人NPOくまもと未来が制作する番組へと成長してきました。

<ちょっと詳しく>

1996~1997年    『田舎の贅沢体験塾』

 20年来無農薬の農業を山江村の松本佳久さんを師匠として、米作りを中心とした「田舎の贅沢」を体験するための塾を実際に開催、同時にこの活動を熊本ケーブルネットワーク(KCN)の『使えるテレビ』で放映した取組み。番組としては、松本さん自身が「岸本さんの全面的な支援を受けた私(松本)自身が、自分の稲作りのことや、山江村の災害の模様などを、「山江弁丸出し」で田んぼの中からレポートしていた」と述懐しておられる(2006)。屋外や誰でもが参加できる公共的なスペースで収録された、公開収録形式の番組の原点となった取組みといえる。

その後1999年には、人吉球磨広域行政組合で養成された住民ディレクターたちが、松本と岸本の公開収録に参加する形で、公開収録型の番組制作を開始し、『人吉球磨新発見伝』として、同じく『使えるテレビ』で放映された。