住民ディレクター事典

地方創生のヒント満載!!

ボンネットバス復活が原点

98市町村を2周半歩いて地域のカタチが見えた岸本は解決策を実践しようと考え地域興し応援番組を企画します(1991年の花坂一座の豪快テレビ企画)。黒澤明監督の「七人の侍」をヒントに考案した企画で、様々な技能を持った地域外の応援団(花咲か一座)が地域住民と共に地域づくりの様々な試みを3ヶ月単位で実践、そのプロセスを1時間のドキュメンタリーにして放送する試みでした。3ヶ月単位としましたが実際は半年以上かかるところもありました。この番組づくりの特徴は自治体とテレビ局が制作費を半分づつ出し、お互いが同じ土俵でモノを言い、互角の付き合いをしようという仕組みです。つまりニュースやテレビ局制作の番組は地域からすると情報発信には貢献するけれど一方的にテレビ局の都合で編集され放送されます。そこに常に不満がくすぶっていました。ですから制作費を半分づつ出せば地域からの主張も丁々発止やりあう中で番組になっていきます。局の方は外からの目線ですからついついおもいつきや一過性の提案も多いのです。それは地域住民からすると我慢ならぬことです。で、まずは朝までテレビのように夜なべ談義を行い、地域の皆さんが地域をこうしたいという話をとことん聞きます。花咲か一座は外から目線でそれに対して提案や実行できる企画を提供します。そして3ヶ月でまずはそれらの企画をカタチにしていく作業を共同でやります。今よく言われる地域づくりの基本、よそ者・馬鹿者・若者をすでに番組というカタチで実践していました。

そして、球磨郡山江村で起こったのがボンネットバスの復活です。もともとは我がテレビ局スタッフが取材の合間に温泉センターの前に展示されていたボンネットバスに興味をいだき、車通のカメラマンが「これは動くのでは?」と乗り込みあちこちを検査し始めました。すると村内の車好きの人たちが次々と集まってきて、いつの間にか7、8人で修理を始め、遂には地元のバスのメーカーから修理工まで呼び出して動かしてしまいました。

ボンバス復活ペンキ  ボンバス復活車内ボンバス復活外装ボンバス復活メンバー

そしてもともとのバス運営会社や陸運局に運行許可をとりにいくなどボランティアの輪があっという間に広がり、半年後にはついに敷地内だけでなく公道を走る村おこしバスとして活躍を始めます。

南の國から 6月号

この時、テレビ局は一連の動きを次々とニュースにし、新聞社や雑誌社にも売り込んでいきました。村民は村の象徴としてボンバスと呼び、花咲か一座のメンバーが歌を作ってくれて村おこしのエンジンになっていきました。この時のテレビ局も村民も一体となってボンバスを動かすために仕事以外の時間を割いて邁進した姿が本来の地域活性化の基本だと全員が感じました。手弁当でボンバス復活を果たした村民に自信が生まれ、テレビ局も表面的ではない地域活動の応援ができることを証明したのでした。(岸本晃:熊本県民テレビ時代)