住民ディレクター事典

地方創生のヒント満載!!

ドラマで起こした熊襲復権

住民手作りドラマは少しづつ制作費も確保できてきて4作目は球磨郡免田町で非常に重いテーマを扱うことになりました。熊襲の復権運動です。熊襲は古代南九州の豪族で大和政権からまつろわぬものとして征伐されたと記紀に書かれています。免田町はこの熊襲のボス的な存在がいたとされるところで中国でも稀な金メッキの鏡が掘り出されていました。町民の多くは熊襲はやさしく平和を愛する人々だったと祖父母から聞いてきましたが、町外へ出て就職した町民たちが出身地を聞かれると野蛮な先祖と思われ、自信を失う町民が多いとのことで、何とか熊襲復権を果たしたいとの切実な願いがありました。町では当時すでに考古学で有名な森浩一さんなどにも来ていただき熊襲復権運動を展開してましたが、この住民手作りドラマはテーマの大きさ故にこれまでのように全てを地元でと考えず、シナリオに関してはこういうテーマに詳しい作家の岩間芳樹さんにお願いしました。結果的に町の女子高生が熊襲について学んでいく過程を町長や町民との出会いの中で描き、熊襲復権運動をしている現在の免田町をそのままドラマにする「劇中劇」のようなドラマとなり、約1,000人の町民が出演や衣装作り、弥生時代の竪穴式住居建築などに奔走しました。このドラマづくりは制作発表からロケスタート、完成、放送まで全国紙や週刊誌、月刊誌などに次々と話題となり、銀座で行った完成記念記者会見には全国紙の記者や自治体、IT企業などから約70名が訪れ会見場は熱気で溢れました。そして熊襲復権運動はこのドラマでひとつの完成を見、その後熊襲を積極的にPRする町の政策へとすすんでいきました。

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<ちょっと詳しく>

第4作、免田町を舞台にした『クマソ復権ドラマ「テレビドラマをつくろう!』(1994年)は、「テレビドラマを作ろう」というテーマのもと、クマソには関心のなかった高校生が自分のアイデンティティを発見していく過程をドラマにするという劇中劇を、ドラマ化したものである。撮影、監督などはすべてプロが務めたが、企画原案、出演、衣装、撮影時の賄い(食事)はすべて免田町民が担った。岸本は「準備を含めれば1年間、町の中がお祭り状態だった。撮影時は2週間合宿して同じ釜の飯を食べ、プロと町民が融合したと思った」と語る。地方制作のドラマながら、各種全国メディアで取り上げられたほど、反響も大きかった。

 

<その他の住民制作ドラマ>

住民手づくりドラマ誕生


産地直送の手作りドラマ 「クマソ復権」メイキング (1)
http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/71561bd1ed6414e7e88e33f280d3cb9e
免田町 vs 加古川 因縁の対決だった?! 「クマソ復権」メイキング (2)
http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/eb3c10809202b8f232e2f08893689012
熊襲の動きが出てきました。
http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/7934158143fff2035a777f2cb0c77b8e