住民ディレクター事典

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住民手作りドラマ誕生

住民手づくりドラマ制作(全4作)

平成元年に熊本市内の商店街でドラマを作りたいとの話が起こりました。ドラマというと通常は制作費最低3,000万円といわれ地方局では最初から諦めています。そんな大金を集められないからです。そこで発想を変え、数百万円で作るならどうするか?と考え、当時のテレビ局の同期でドラマの発案者園田氏がシナリオを書く、監督は岸本がしてタレントは一切使わず地元の劇団員にお願いするとの発想でとにかく実現に向けて動き出しました。外部スタッフにもドラマが自分たちで100%制作できる魅力を解き、意気に感じるスタッフを集め、劇団員にも手弁当で協力をお願いしました。結果的には全国初の試みで地元住民とテレビ局が一致団結して制作する住民手作りドラマは年間を通じて話題となり日本テレビ系列の全国のテレビ局でも次々と放送されることとなり、赤字覚悟だった取り組みも最終的には利益を生み出す新たな試みとの評価を得るものになりました。そしてこの住民手作りドラマは地域おこし応援番組と共に地域を応援するテレビ局のイメージを定着させていきます。(岸本晃:熊本県民テレビ時代)

<詳細>

■1989年~1993年 住民手作りドラマ制作(全4作)

1989年 熊本市政100周年記念番組 『熊本県民ドラマ「平成元年のタイムスリップ」』熊本県民テレビ(KKT)

1990年 『企業ドキュメンタリーロマン「赤バス物語」』熊本県民テレビ(KKT)

1993年 『八郎の壺』熊本県民テレビ(KKT)

1994年 『クマソ復権ドラマ「テレビドラマを作ろう!」』熊本県民テレビ(KKT)

熊本の商店街を舞台にした『熊本県民ドラマ「平成元年のタイムスリップ」』は、熊本県民テレビのプロデューサーだった岸本晃が監督を務め、岸本の同期(園田文彰氏)がシナリオを執筆したもの。数千万の予算が必要で地方局では到底難しいと言われていたドラマ制作を、スタッフを熊本県民テレビで内部化することで数百万で制作した。ドラマの出来映えとともに、その制作手法が当時は大きな反響を呼んだ。

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第1作が反響を呼び、第2作、第3作には1000万規模の予算が集まった。第2作は『企業ドキュメンタリーロマン「赤バス物語」』(1991年)と題して、県内を走るバスを舞台にした企業ドキュメンタリードラマを制作。第3作は『八郎の壺』(1993年、山鹿鹿本広域行政組合と共同制作)という地域の歴史ドラマを制作した。


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第4作が免田町を舞台にした『クマソ復権ドラマ「テレビドラマをつくろう!』(1994年)である。これは「テレビドラマを作ろう」というテーマのもと、クマソには関心のなかった高校生が自分のアイデンティティを発見していく過程をドラマにするという劇中劇を、ドラマ化したものである。撮影、監督などはすべてプロが務めたが、企画原案、出演、衣装、撮影時の賄い(食事)はすべて免田町民が担った。岸本は「準備を含めれば1年間、町の中がお祭り状態だった。撮影時は2週間合宿して同じ釜の飯を食べ、プロと町民が融合したと思った」と語る。地方制作のドラマながら、各種全国メディアで取り上げられたほど、反響も大きかった。


産地直送の手作りドラマ 「クマソ復権」メイキング (1)
http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/71561bd1ed6414e7e88e33f280d3cb9e
免田町 vs 加古川 因縁の対決だった?! 「クマソ復権」メイキング (2)
http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/eb3c10809202b8f232e2f08893689012
熊襲の動きが出てきました。
http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/7934158143fff2035a777f2cb0c77b8e
「八郎の壷」と小石原焼き
http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/bd9eb87faad695a6965c29e354d04b16
八郎の壷(2)ドラマは神輿
http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/ef126811bd1b891ee2354b90124d2456
開けられた初心のツボ。(八郎の壷3)
http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/cf6524ddc3649709d89e1bf0b29f9fcc