住民ディレクター事典

地方創生のヒント満載!!

3・11と沿岸部の支援拠点としての住田町

2011年

東日本大震災が起こってしばらくして総務大臣懇談会(ICT地域活性化懇談会)のメンバーとして、ICTが東日本被災地に何ができるかを考えて欲しいとの課題が出ました。わたし(岸本)はすぐに周辺地域に住民ディレクター育成とオリジナルメディアの創出、さらにそれを基軸にしてマスコミ連携をすすめることを提案しました。また、年に数回のような派遣では何事も成せないので少なくとも毎月1週間ぐらいは現地に入り込む派遣制度も提案しました。数度の会合で毎回プレゼンをし、最終的にはICT人材として住民ディレクター育成が有効と報告書には記載されましたが実際には何かがすぐ動くものではないのでまずは自分で東日本へ通い始めました。そして追いかけるように総務省にICT地域マネージャー制度ができ、提案者でもあり、派遣第1号の一人として岩手県住田町に派遣が決まりました。ここは以前数回呼ばれていた土地ですでに簡単な住民ディレクター講座は経験済みでした。そこで、東日本被災地をサポートする第1の拠点として沿岸部の陸前高田市、大船渡市、釜石市の3市の情報発信をサポートする拠点としてそれぞれ車で山間部へ20分から30分で行ける住田町で住民ディレクター活動を根付かせることをスタートしました。当時はまだ沿岸部の人々には復興で手一杯で発信まで自分たちでできる環境ではありませんでした。しかし、その環境はすぐにでも整えておかないと気づいてからでは遅すぎます。理由はこうです。被災後の数年間はマスコミなどの取材があり現地情報は何らかの形で発信されていきますが、3年を過ぎるとだんだん取材そのものが減少し、現地情報は全国の目からは薄れていきます。そこで今から住んでいる人自身が本当のことを発信する力をもつ住民ディレクター人材を育成しておく。住民ディレクターを中心に自由に発信できるオリジナルメディアを創出しておく。その人材とオリジナルメディアを活用してマスコミとの連携を信頼関係をベースに形作っておく。それらのことがいざ誰も発信してくれなくなった頃に現状を伝え、新しい動きが起こった時にまずは自分たちで発信し、マスコミや周囲の協力を形作り、次第に地域のムーブメント、真の復興につなげていく手法が必ず必要になるだろうからです。それはオリジナルメディアをもち自分たちの力で運営でき、継続するものである必要があります。陸前高田市、大船渡市、釜石市は自分たちにはできなくても住田町まで20-30分走れば学ぶ拠点があり、住民同士の交流にもつながります。また、住田町からすると被災直後は住田町の木材を生かした仮設住宅を提供し被災者を助けるお役目を果たしましたが、支援方法も時間が経てば変化が起こり、次は情報発信の分野で3市の支援ができていきます。3市との情報発信による交流は当然、全国との交流推進になりますので早くから取り組んだメリットも住田町にもしっかりと還元されます。そいうい視点で住田町が全面的に岸本構想を受け入れてくれて住田テレビの放送枠で実際に地域番組を制作するOJT方式での取り組みが続きました。3年目はそれまでの総務省の支援から地元の制作会社が岩手県から受けた補助事業を活用し、継続されました。その間にねんぷにやっぺし(慌てずにじっくりと、でも着実にやりきりましょうという方言)というグループが設立され、住田町の集落やグループ、団体を掘り起こしていく役割を担っていきました。この東日本被災地を支援するためにはじめた事業でしたが住田町自身がメリットを明確に認識できないと継続自体が難しい状況も見えて、まずは住田町の地域活性化策としての模索が4年目からはじまりました。

総務省ICT地域活性化懇談会 http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/ict_chiikikassei/

総務大臣懇談会

岸本晃の住民ディレクターNEWS「総務大臣懇談会、明日最終リング!」http://blog.goo.ne.jp/0811prism/e/95e14c432804a7fa17c3c5fb9e0290e9